ハワイイ紀行

  ハワイ島の国立火山公園でもらったパンフレットを広げている。英語だし、現地では、じっくり
 見なかったが、今、あらためて、広げてみると僕の知りたかったハワイが絵になっている。
 新聞紙一枚の大きさ。一面、公園の地図になっているその裏にハワイが象徴されている。


 一番上に、20年前のキラウェア噴火の時の写真。赤い仕掛け花火のよう。世界地図と、移
 動する大陸の説明。太平洋プレートの真ん中、ホットスポットの位置にハワイがある。そして、
 その横に、ベルトコンベアーに乗って作られているようなカウアイ島、オアフ島、モロカイ島、マ
 ウイ島、ハワイ島の断面図。ハワイ島の下には、ホットスポットからマグマが噴出してきており、
 お隣の海中に赤ちゃん島のロイヒがある。
  パンフレットの中断は、ハワイの動植物の絵だ、ハワイの州鳥、ハワイ・ガチョウの「ネネ」の
 絵をはじめ、ハワイに元々いる鳥や植物の絵があり、これに混じって、赤字でAlien(エイリア
 ン)に分類された動植物の絵が描かれている。エイリアンとしては、九官鳥や日本のメジロ。マ
 ングースや、猫。野生の豚。植物では、なんと椰子の木がエイリアンに分類されている。
  パンフレットの下の段には、ハワイ先住民の絵。ポリネシアから移ってきたときの船の想像
 図。ペトログリフと呼ばれる象形文字。そう、僕は、このことをハワイから帰って知った。ハワイ
 はまだまだ奥深い。また訪れたい。不思議な土地だ。

  僕が行った初めてのハワイを紹介しよう。

  いろいろな思いがあった。
  アメリカの50番目の州。
  12/8真珠湾攻撃。太平洋戦争突入。
  日系人向けのNHK歌番組。
  ああ〜、憧れのハワイ航路。
  海外旅行は、ハワイに始まり、ハワイに終わる。
  芸能人がお正月を過ごすクダラン島。ワイキキビーチ、ダイヤモンドヘッド。
  ダンミルマンのニューエイジ小説。
  南の島の情景を描く池澤夏樹。
  藤平光一宗主が合氣道の普及を始めたところ。
  日本の国立天文台が世界一の光学望遠鏡をハワイ島に作った。
 などなど。

  それにしても、僕は、島が好きだ。
  小さい頃のTVのせいか、・・・「ひょっこりひょうたん島」、「冒険ガボテン島」、「サンダーバード
 の秘密基地」・・・。
  読んだ本のせいか、・・・「宝島」、「ロビンソンクルーソ漂流記」、「十五少年漂流記」そして、
 キャプテンクックやマゼランの話・・・。近くは、池澤夏樹の小説だ。
  無人島という言葉の響きもいい。海の上での孤立感をそそられる。

  ・・・にしても、観光地として有名過ぎる島のハワイにわざわざ出かけるのは、僕のポリシーか
 らして、みっともないものであったのだけれども、僕が、ハワイに惹かれる理由は、それがやっ
 ぱり自然と人の営みを強烈に感じさせてくれるところだからだ。

  太平洋のど真ん中にある島。
  どうやってできたの?
  なんで、島に植物が育ち、動物が住み、人が生活しているの?
  素朴な疑問。

  長年の希望が叶ってハワイに行った。

  ホノルルはごめんだ。ビーチなんてのはどこにでもある。買い物には興味も金もない。で、ハ
 ワイ諸島で一番若い島のハワイ島と、一番古い島のカウアイ島を選んだ。


 まず、一番若い、ビッグアイランド、ハワイ島を目指した。
  JALのコナ直行便のCMなんぞを見て、木村佳乃でしたっけ?なだらかな長大な火山を背景
 の、まあ、そういう雰囲気も魅力ではありましたが、JALは高い、予約が確約できないと、HIS
 のお兄さんに言われて、素直に、一番安いUAのホノルル経由でハワイ島に向かった。

  ホノルル空港で、アロハ航空に乗り換えるのも、簡単そうに言ってたけど、案内板もないし、
 ちょっと迷った。ついつい、日本人の団体さんの後についていこうとする習性の情けなさ。「お
 お、向こうにダイヤモンドヘッドが見えるぞ!」、、、なんて。
  アロハ航空のB737がホノルル空港を離陸すると、眼下にワイキキビーチ。まさに素通り。ホ
 テル群もいいけど、在りし日の熱海か、和歌山の白良浜か、椿温泉か。(そう言えば、和歌山
 育ちの僕としては、ハワイアンミュージックは、夏の日の白浜温泉というイメージが強い。)い
 や、ケチをつけてる訳ではない。やっぱりビーチはきれいだ。そして、ダイヤモンドヘッド。ヤヤ
 ッ!!火山だ!そう、ダイヤモンドヘッドって、火山の火口を横からみているのですね。う〜
 ん、やっぱりハワイだぁ。。。
  左手に、諸島の島を眺め、30分ほどで、なだらかな、なだらかな山のあるハワイに着陸態
 勢。コバルトブルーの海から、真っ黒な地面が見える。
  コナ空港は、殺伐とした冷えた溶岩の中。「れれ。。。なんにもないじゃん。」
  真っ黒なむき出しの冷えた溶岩の中に、滑走路が作られているだけ。洒落たコテージ風の空
 港建物はあるけど、それ以外に街らしきものはなし。

  ハワイイ諸島は、火山の島々である。島には大きく分けて2種類ある。大陸から分かれてで
 きた島と、火山が噴火してできた島。日本は、アジア大陸から分かれてできた。伊豆諸島なん
 かは、火山が噴火してできた。
  ハワイイは、太平洋のど真ん中からマグマが噴出してできた島だ。見事に、大陸から孤立し
 ている。
  そしてできた島は、移動するプレートにのって、東から西、北西の方に動いている。もちろん
 年間何ミリというわずかな移動だが。。。そして、徐々に海に沈んでいき、アリューシャン列島
 の海底の方にまで続いているのだ。
  繰り返す。こんな太平洋のど真ん中にどうやって島ができたのか?
  小松左京の「日本沈没」という小説があった。東海大地震の警鐘も当時から急に高まった。
 元になる理論が「プレートテクトニクス」。地殻は、ちょうどサッカーボールのように何枚かの板
 から成り立っているというもので、しかもこの板は動いている。一方の割れ目から湧き出して、
 ゆっくりと移動し、反対側の割れ目に吸い込まれる。太平洋を東から西へと動いてきたプレート
 が、日本海溝で沈みこむ。
  日本列島はその吸い込みに取り残されたものの堆積に過ぎない。吸い込む動きに、日本が
 乗っているユーラシアプレートの端っこも、ついつい連れ込まれているのだが、ある程度吸い
 込まれた時点で、そうは行くかと元に戻る。これが大地震。(ええ〜っと、「直下型」とは違って、
 名前忘れましたけど、東海地震とか、南海地震とか、周期的に襲ってくるあの大地震の原因が
 このプレートの沈みこみなのです。震源地は、大体三陸沖、房総沖、東海沖、紀伊半島沖、深
 さ100キロ程度のヤツです。近々、南海、東海が来るのは時間の問題という理由です。)

  日本海溝で沈み込んでいるこの太平洋プレート。このプレートの下、太平洋のど真ん中に、
 穴が開いている。これは、ホットスポットと呼ばれるマグマが上昇してくる穴なのだ。マグマは、
 プレートを溶かして上昇し、海があってもひるむことなく、どんどん噴出する。盛り上がって海面
 の上に頭を出し、陸地を造る。こうやって、ハワイの島々ができたのである。
  ところがプレートは動いている。できあがった島は、ベルトコンベアのように、東から西に運ば
 れる。
  ホットスポットから外れた島は、噴火も治まり、雨が大地を侵食し、谷ができ、川が流れ、風
 に運ばれた植物の種が芽を出し、鳥が渡り、やがて人が移り住む。ハワイ諸島は、こうして順
 番にできあがっていった。一番西の島、カウアイ島が一番古く、オアフ、モロカイ、マウイ、ハワ
 イと続く。ほんまかいなと思うようなよくできた話だが、各島の岩石中のカリウムとアルゴンの比
 率を調べて岩の年齢を調べる方法によれば、カウアイ島で約500万年、オアフ島で、300〜4
 00万年、マウイ島で100〜200万年、今なお噴火を続けるハワイ島ではまだ100万年にも
 満たない若い岩から成り立っている。そして、ハワイ島の東の海の中には、まだ海面に顔出し
 ていない新しい島の赤ん坊がもう生まれているらしい。

  だから、ハワイ島は、諸島の中でも一番若い、出来立ての大地だ。大きさは、四国の約6
 割。そして高さも一番高い。すばる天文台のあるマウナケア山は、標高4200メートルもある。
 でも、きわめてなだらかだ。富士山が典型的な火山だと思っていた頭では、このなだらかなマ
 ウナケアが4200メートルもあるとは信じられないし、火山だとは思えない。でも、ハワイ島は、
 やはり溶岩だらけであった。
  ハワイ島の火山には、日本のように派手な爆発はない。きわめてサラサラの溶岩がヌルヌル
 と流れてくるらしい。あるいは、せいぜい巨大な仕掛け花火のような噴火らしい。だから、山は
 あくまでなだらかで、できて間もないから、雨風による侵食もまだそんなに受けていない。雨の
 降らない西側は冷えた溶岩むき出しというわけだ。山にしても山らしくない。ハワイで漢字が生
 まれたなら、山には、もっと平坦な文字があてられていただろうね。

  黒いむき出しの溶岩の上に、恋人たちが、海岸から取ってきた白い珊瑚で文字を形作ってい
 る。こうして文字を残すと幸せになれるそうだ。(記憶によるとハワイアンには文字がなかった
 から、後からやってきたアメリカ人の考えだね。もっとも、日本は、文字用珊瑚一袋1000円で道
 端に売っていそうだが、それらしきものがないのは許せる。)・・にしても、真っ黒な溶岩に、た
 まに、枯れた色の草が生えている程度。こりゃ、ハワイのイメージじゃないね。でも、ハワイのイ
 メージってなんだろう?旅行会社が作ってきたホノルル、ワイキキのイメージではないか・・・と
 思いながら、ワイコロアというリゾート地に着くと、ここはまさに、南の島のリゾートという雰囲気
 だった。溶岩の中に椰子の林を作り、さまざまな木を植えて、人工の川、プール、入り江を作
 る。開発は、竹中工務店、東急建設などなど。。。やれやれ。ま、いいけど。

  ハワイ付近は、北東の貿易風が吹くために、西のコナあたりは、ほとんど雨が降らない。人
 工のリゾート地でハワイを楽しむには向いているようだ。乾燥した風は、暑さを全く感じさせな
 い。
  ホテルのプールで一日のんびりしたあと、一日観光にでかける。ハワイに住み着いたおじさ
 んがガイド。ハワイ島一周450キロを8時間ほどで回るという。
  コナの街を抜ける。きれいな海辺の町だ。一年中雨の降らないこの気候が気に入って、この
 おじさんはコナに住み着いて、ガイドをしている。たまには、ドライバーとしてビルゲイツをホテ
 ルまで送ることもあるらしい。ビルは、リムジンではなく、バンでホテルに向かうという。アラブの
 富豪は、自家用機のジャンボジェットに奥さん20人を連れて来るそうな。日本のトヨタさんは15
 億で別荘を作ったとか。(一時のチバリーヒルズより安いね。)

  海亀が甲羅干しをしている黒砂海岸を経て、20年前に噴火してその火口の大きさで有名なキ
 ラウェアに向かう。島の東側にあるこのあたりは、さすがに雨も多くなり、霧で火口の見えない
 日もあるというが、この日は絶好の天気。ほとんどまっすぐに見える道を標高1200メートルまで
 上っても、上ったという感じがしない。まだ平原という感じ。マウナロアの山頂もあくまでなだら
 か。キラウェアはデカ過ぎてぴんと来ない。その中にあって、蒸気を上げているクレータが手ご
 ろ。まさに、クレータだね。近くまで寄ってゆっくり楽しみたかったのだけれど、450キロを走破
 するためにはのんびりしていられない。・・・それにしても、火口と溶岩だらけ。なまなましい感じ
 でかたまった溶岩。あちこちに火山弾(と思うけど)がゴロゴロ。結構噴火してんじゃないの?と
 思うけど、まあ、穏やかなんだろう。このあたりの写真をとって、火星の写真としてHPに載せて
 も半分ぐらいの人は素直に信じるだろうね。

  東の街、ヒロへ向かう。貿易風が雲を作るこのあたりは、雨も多く、緑が多い。マカデミアナッ
 ツの林も見える。マカデミアナッツは収穫までに15年もかかる木だそうだが、一度成りはじめる
 とウハウハだそうだ。(ウハウハはハワイ語ではない。)マカデミアさんが、オーストラリアのジャ
 ングルで発見したというナッツの木。
 そう、太平洋の真ん中に誕生した島にどうして植物が生えてくるのだ?
 溶岩は、摂氏1200度。植物の種が地の底から出てくるわけもない。

  ハワイがどうやってできたかはわかったから、今度はどんな感じで木が生えたかを考えよう。
 実は、ハワイイ諸島で目にする植物の大半は、この200年ほどの間に外から人の手で持ち込
 まれたものだそうだ。グァバは熱帯アメリカから来たし、ビワは日本から、パパイヤは南米から
 もたらされた。ブーゲンビリアはブラジルから渡来し、モンキーポッドも南米から来た。いい香り
 のするプルメリアは熱帯アメリカの産だし、キョウチクトウはヨーロッパから日本経由で来た。
 南洋桜のフレイムトリーはマダガスカル原産で、マンゴーは、インドから東南アジアが原産地。
 去年シドニーでたくさん見かけてずっと名前を知りたかった紫の花の木、ジャカランダはもとも
 とアルゼンチンからボリビアあたりのもの。アボカドは熱帯アメリカ。パンダナスは、ハワイ先住
 民がポリネシアから持ってきたし、バニアンも元々ハワイにはなかった。クック松は、松類がな
 かったハワイに1870年代に持ち込まれ、クリスマスツリーに使われた。カウアイ島の木のトン
 ネルになっているユーカリは、サトウキビ畑の風除けにオーストラリアから持ち込まれた。扇を
 広げたようなトラベラーズトリーは、マダガスカル原産だ。

  植物の移動手段は、小学校の理科で習うように、風に乗るもの、鳥に食べられて運ばれ、糞
 と一緒に地面に落ちるもの、動物の毛皮にくっついて移動するもの、あるいは、椰子の実のよ
 うに海流に乗るものなどさまざまだ。
  太平洋のど真ん中、火山として誕生したハワイ諸島には、どうやって植物がやってきたかを
 考えると、やっぱり風にのってやってきたんだろうと思う。事実、そのとおりで、ハワイに多いシ
 ダ類は、その胞子が風にのって運ばれる。ただ、胞子なんだな、これが。松やモミのような裸
 子植物の種子も風に乗るんだけれど、ハワイのような太平洋のど真ん中までには届かない。
 だから、ハワイにはマツの類いはなかった。中国の黄砂が、今年は、アメリカまで飛んでいるら
 しいけど、あの辺の植物の種なら可能性はあるかなぁ・・・タンポポはどうなんだろ? どんぐり
 は駄目だろうな。どんぐりをくわえて海を泳ぐリスもいないし、毛皮に種をくっつけた犬だって、
 犬かきでは、太平洋を渡れない。やっぱり、あとは、ほとんど鳥かなぁ・・

  植物のことを考えると、育った後の進化にも興味深い話がある。かつて、なんらかの形でハ
 ワイに渡ったバラの一種が繁殖した。元々、バラのトゲは草食動物から身を守るためのもので
 あった。ところが、ハワイには動物がいなかった。やがて、独自の進化をとげ、トゲがなくなっ
 た。ところが、18世紀、西洋人がヤギを持ち込んだ。あっというまに、このバラは絶滅した。

  そう、大地、植物、動物、人間をいっしょに考えているけど、まず、何百万年か前に、大地が
 できた。
  風にのって、胞子が運ばれシダが繁殖した。あるいは、黄砂のあたりの砂漠の草が生えた
 かもしれない。また、鳥が運んだ種からもいろいろな植物が繁殖した。昆虫もいただろうな。海
 亀が甲羅を休め、アザラシも日光浴に海岸に来るけれど、陸の上に害になるような動物はい
 なかったはずだ。こうして、何万年ものあいだ、植物は、ハワイ特有の進化をした。
 ある日、勇敢な人類の一族が海をわたってやってきた。彼らは、持ってきたタロイモを植え、豚
 を放した。やがて、地球の裏側からも人類がやってきた。彼らの船には、ネズミがいた。ネズミ
 はタロイモ畑を荒らした。コイツを退治しようとした人々は、マングースを持ち込んだ。(マング
 ースはネズミを獲らないのに・・・)猫も持ち込んだ。ヤギも放した。そして、いろいろな病原菌も
 持ち込んだ。マラリア、天然痘・・・世界中から移り住んだ人は、国の植物を植えた。ハワイの
 溶岩は、たくさんの栄養を含み、気候とあいまって植物は育つ。常夏の国。

  何の話でしたっけ?・・・そうそう。ヒロの街でチョコレート工場を見学してから、アカカの滝に
 向かう。海岸の公園にカメハメハ大王の像が立つ。天気はやはり悪くなって今にも雨が振り出
 しそうな様子。なだらかな丘を越えて、森の中を少し歩くと、大きな滝。茨城出身の妻は華厳の
 滝のようだという。もちろん、僕には那智の滝のように見える。結構落差のある立派な滝だが、
 特に観光スポットらしい風景はない。神社もないしね・・・。

  海の中からできたハワイは、まだ若いから素直な大地の姿を見せてくれている。さらさらの溶
 岩が何度も流れて、なだらかな、なだらかな台地ができる。それが時とともに、雨などで侵食さ
 れて崩れていく。川は、滝となって落ち、さらに海へと下る間に峡谷を作っていく。滝があって、
 峡谷から、二等辺三角形の形で海に続く土地は、水を確保でき、タロイモを育てるのに適して
 いる。ポリネシアから来た人々はこうしてハワイで栄えることができたらしい。

  彼らは、いつごろ、どうやって来たのだろうか? 次は、人と動物の話。

  日本列島に大陸から人がやってくるのにさほどの困難はなかった。朝鮮半島から、九州まで
 は100キロほどで、真ん中には対馬もある。晴れた日には、遠く望むこともできるから、そこに
 行きたいという気持ちになることもあるだろう。台湾と与那国島も同じようなもの。ちょっと、寒
 いが北の方だってそうだ。昔々は大陸と陸続きだったとも言われているから、なおさら簡単だっ
 たはずだ。
  ハワイは、そうはいかない。太平洋のど真ん中なのだ。アメリカ大陸サンフランシスコから39
 00キロ、アジア側東京から6200キロ、オーストラリアシドニーからは8000キロもある。和歌
 山の勝浦の漁師が嵐で流されて、千葉にたどりついて勝浦の街を作ったというようなわけには
 行かないのだ。
  でも、実際にハワイには人が住んでいる。5世紀はすでに人が渡っていた形跡があるという。
 12世紀にはタヒチ島からひとつの社会全体が渡ってきて栄えている。
  ・・・小学生の頃、「コンチキ号漂流記」というノンフィクションが教科書に出ていた。ハワイの
 人々がどこから来たのかを実証するために、確か、南米から木造の船で太平洋を渡る冒険を
 したというような内容だったと思う。見事、成功して、星を頼りに、風に乗ってハワイにたどり着く
 ことが可能であることが証明されたとのことだった。
  ・・・もっとも、つい最近、「イブと7人の娘たち」という本でも紹介されていたが、DNAの研究に
 よって、ハワイアンは、ポリネシアから来たことが証明されているし、ルーツは、台湾のあたり
 だとわかっている。ひょっとしたら、日本人の何割かと同じ祖先なのだ。
  ・・・どこから渡ったにせよ、1000年以上も前に、何千キロも海を渡った人たちはすごい。何を
 考えていたのだろう。大海原と星しかなかったはずだけれど。。。当時の人たちこそ、自分たち
 が大宇宙の一部であることを知っていたのではないだろうかと思う。我を張る生き方では、自
 然の威力に圧倒されていただろうなと思う。

  アカカの滝から、北部のパーカー牧場を抜けてホテルに戻る。パーカー牧場は、個人所有な
 がら東京都より広いという。かつて、王族と親族になったパーカーさんがこんな広い土地を手に
 入れたらしい。ポリネシアの人たちが作った王国と、西欧人の干渉。東洋人の移民がどう行わ
 れて、なぜ、アメリカの州になっちゃったのか?

  ポリネシアから移住してきた人々は、二等辺三角形の地にタロイモを作り、安定した社会を
 作った。ポリネシアとの交流は13世紀頃途絶えたようだが、以後、自給自足の経済と文化を維
 持し、先祖の地についての記憶は伝説に変わっていった。島ごとに王はいたが諸島全体を統
 一するほど強い権力は成立しなかったという。
  そこへ、キャプテンクックがやってきてすべてが変化する。金属と梅毒が上陸する。ハワイア
 ンは、当初、西洋人を神と勘違いする。しかし、人は、いつまでも神を演じられない。ある水夫
 が病気で死に、神が死ぬことへの不審からいさかいが増え始める。結果的に、いさかいの中
 で、クックが死を遂げる。そのとき、歴史は動いた。。。ではないけど、単にクックが訪れたこと
 だけが契機ではなく、時を同じくして、カメハメハ大王がハワイ諸島を統一し、ハワイ王朝を確
 立する。
  ・・・・で、どういう経緯か、ハワイ王朝では、西欧の文物に憧れて勧められるままに次々に贅
 沢な雑貨を買い込んで、どんどん借金が増えて行き、これを相談にロンドンに行ったカメハメ
 ハ二世があっけなく病死する。30万人いたハワイアンが西欧の病気で数万人にまで減少した
 のもこの時期である。11歳のカメハメハ3世が即位し、宣教師と捕鯨船に乗る水夫たちの道徳
 の中、ハワイはどんどん欧米化される。憲法が作られ、1845年には第一回の議会が開かれ
 る。だが、官僚機構の重要な職はみんな白人が占めていた。あまりも準備がなかったのであ
 る。
  そして、官有地や王家の土地を安く長く安定して借りることで、次の時代のハワイ経済を特徴
 づけるプランテーション農業が始まり、サトウキビ畑がタロイモ畑を駆逐していく。病気に弱った
 ハワイアンの血を蘇らせる意味で、人種的に離れていない東洋人の移民も始まった。当時、明
 治政府にも要請が来たらしいが、最初にハワイに移住した日本人は、いわゆる島流し者、手
 に余るヤクザ者が多かったとも聞く。
  だが、ハワイアンの命運は全体として衰退へ流れるばかりとなり、アメリカ系住民の強硬な姿
 勢はますます露骨になる。1887年の憲法では、王の政治的役割はほとんど形式的なものにま
 で制限され、ハワイアンとアジア系移民には選挙権もないというひどいものであった。
  ハワイ初めての女王に即位したリリウオカラニは、1893年新しい憲法の発布を試みたが、結
 果的に、アメリカ海軍の海兵隊がこれを阻止し、つまりクーデターで女王を廃位に追い込み、
 ハワイ共和国が誕生。リリウオカラニはワシントンに軟禁される。そうして1898年米西戦争の
 余波でハワイがアメリカ合衆国に併合されてしまうのだ。リリウオカラニは失意の余生をワシン
 トンで送り、いくつも歌を作る。そのひとつが「アロハ・オエ」である。
   甘い記憶が私に帰ってくる。

  過去の思い出が鮮やかに残る。

  親しい者よ、おまえは私のもの。

  おまえから真実の愛が去ることはない。

  アロハ・オエ。アロハ・オエ

 

 外来の植物に弱かったハワイ固有の植物を思い出す。

  僕のハワイ旅行の後半は、カウアイ島へ場所を移した。コナ空港から飛び立って、ハワイ諸
 島を、若い順に見ていく。ハワイ島、マウイ島、モロカイ島、ラナイ島、オアフ島、そしてカウアイ
 島だ。カウアイ島に近づくにつれ、雲が増え、天気が悪くなる。リフエ空港の滑走路は、雨に濡
 れていた。気温も低い。でも、晴れたハワイ島から、雨のカウアイ島もいい。山々の上の方は
 雲に隠れているが形が山らしい。緑も多い。庭園の島。ガーデンアイランドと呼ばれるハワイ
 諸島で最も古い島。

  カウアイ島のワイアレアレという山は、実は、世界で一番雨が多い。アメリカの資源局がここ
 に雨量計を置こうと最初に決めたのは1910年。標高は1600メートル足らずのハワイ諸島で
 はそれほど高い山ではないから、それほど困難な作業は予想しなかったのだろうが、最初に
 山頂に設置した雨量計は簡単にいっぱいになったという。こうして、人間と雨の神の勝負が始
 まる。翌年、年間3700ミリが計れる装置が設置された(東京の年平均雨量は1400ミリ、日
 本で一番雨の多い尾鷲で4000ミリ)が、これもすぐいっぱい。1915年には7600ミリの雨量
 計がおかれたがお話にならず、ついに1920年、年間25100ミリが計れるものが設置され、
 人間が雨の神に勝った。・・・かに見えたが、この雨量升、空にするために一々ひっくり返す構
 造だったようで、その巨大さ故、そのたびに歪み、ついには漏るようになって使えなくなったと
 のこと。最終的に、1928年に底に栓をつけた22900ミリの雨量升が設置され、勝負が終わ
 ったらしい。やれやれ。それにしても、ハワイの島のおもしろいところは、こんな狭い島の中で、
 世界一雨の多い場所もあれば、そこから20キロも離れると、年間で500ミリしか雨が降らない
 という乾いた場所があるのだ。

  ホテルは、この雨が少ないポイプにあった。旅行ガイドにも、北の方で雨が降っていてもここ
 だけは大丈夫。朝晩のスコールはあっても、必ず青空が見えると豪語してあったから、空港は
 雨でも安心していた。ホテルに着いて、雨脚が強まっても、朝夕のスコールだなと安心してい
 た。だが、僕は、雨の神に気に入られたらしい。3日間、雨が降り続いたのだ。なんでも30年ぶ
 りということであった。
 

 カウアイ島での楽しみは、500万年の時を経て、噴火の無くなった火山が、世界一の雨量に
 削られてできたワイメア渓谷、風に乗って飛んできた胞子がこの気候で成長して作ったシダの
 洞窟。そして、このシダの洞窟はかつて王族しか入れなかったという。ここに行くには、川を船
 でさかのぼっていくが、船が浮かぶような広い川は、ハワイ諸島の中で、このカウアイ島にしか
 ない。これも古い島だからだ。でも、なんといっても雄大なワイメア渓谷が楽しみだった。

  なんと無残な結果。もう5年以上前から、ハワイの歴史を知り、この光景を想像していたの
 に・・・。渓谷を見下ろす展望台は雲の中。視界5メートル。やれやれ。ならば、島の反対側の
 シダの洞窟なら何とか見えるかと期待したが、前夜からの大雨で鉄砲水が出て、船が出航で
 きず、近寄れもしない。よほど、雨の神に好かれたと見える。

  この島特有の鉄分を含んだ岩の泥が雨に溶けて、真っ赤な泥水となる。荒れたサトウキビ
 畑。閉鎖された工場。雨が小降りになるのを見計らって、自転車を借り、隣町まで出かけてみ
 る。かつて、サトウキビ産業の中心であったオールドコロアタウン。古い工場のレンガの煙突が
 記念に残され、人々のレリーフがある。日系一世の人たちは、この地で苦労を強いられた。言
 葉もわからないまま、この地に来て、働けど働けど、暮らしは楽にならない。欧米人が作った法
 律は、アジア人とハワイ人には選挙も許されず・・・でも、しだいしだいに、二世、三世となるうち
 に、その位置ができていく。

  でも、ハワイもアメリカなのだ。人件費は高い。砂糖生産は、競争力を失って、昨年最後の工
 場を閉鎖した。パイナップルしかり。あとにコーヒーを植えているけど、人件費の安いところに
 は敵わない。観光といっても、アメリカであるが故の規制は厳しいようだ。リゾート地はすべて
 が高い。それに昨年のテロ事件。観光客には決して快適なところとは思えない。そんな、ハワ
 イは今後どうなっていくのか。雨のカウアイ島の荒れたサトウキビ畑と、閉鎖された砂糖工場は
 非常に印象的であった。

  結局、最終日まで雨が続いて、おまけに足の激痛が始まって、最後は悲惨なハワイ旅行の
 幕切れであったが、ここは、また来たい。海外旅行はハワイに始まり、ハワイに終わるといった
 人と、どの程度、思いを共有しているか、はなはだ疑問だが、また来たい。でも、今度は、コン
 ドミニアムにでも泊まって、レンタカーであちこち行きたいものだ。自転車じゃ、限界がある。バ
 スもタクシーもないしね。テント張ってもいいけど。

  そうそう、ハワイには爬虫類がいない。タヌキもいない。そもそも、四足動物は、人間が持ち
 込んだものだ。誰かがこっそり持ち込まない限り、森の中で蛇に驚かされる心配はない。だか
 ら、野宿でも安心かも知れない。でも、寒いかもしれない。ハワイが常夏だなんて誰が言ったの
 だ?北緯20度なのだから、ちゃんと冬もある。マウナケアの山頂では雪も降る。日差しは強い
 ね。ハワイ島で半日、木陰のハンモックにいただけで、グリルの魚のように表面が焼けてしまっ
 た。きちんと裏返して、両面焼くんだった。

  池澤夏樹さんの「ハワイイ紀行」をずいぶん参考にさせていただきました。一部、引用もあり
 ますので、ご容赦ください。南の島モノは、池澤夏樹ですね。 2002年4月14日

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