
本の紹介V
レバナ・シェル・ブドラ
メディアアート出版
2004年5月15日初版発行
1300円
世界屈指の透視能力者、ヒーラー。日本でもスクールを開催しているらしい。前回の本を2年
前に読み、興味深く、出かけていきたくなったが、すでに開始した勉強の区切りもついていない
ということと、先立つものがなくて、見送った。今回の本を読んでも、同様の状況。 ただ、自分
自身の知識や経験が増えているから、感じるところが少し変わっている。前回よりさらに可能
性を感じている。
著者のことに詳しいわけではないが、「光の手」のバーバラ・アン・ブレナンのような印象を受
ける。少なくとも、同じような能力を持つ人が世界には複数居るということ。そして、それらの人
がこの世界をどのように捕らえているかということが、まったく自分の生活に関係ないのなら、
まあ、それはひとつの世間話に過ぎないのだが、関係を感じ、探ろうと思うところに、人間のお
もしろさがある。
今年は、年初来、今は亡き作家の芹沢光治良の本に没頭した。ノーベル賞候補にまでなっ
たこの作家の書くことが、真実か、フィクションがわからないまま、作家だからフィクションの要
素が強いのではないかという危惧をいだきながら、それでも惹かれるところが多くて、読み臥
せり、こういう事実が存在するという確信に近いものが得られ、自然と一体となるということを新
しい視点で感じることができた。
ところが、芹沢氏が木と話をするくだりがどうもフィクション臭い。頭脳を持たない植物が、いく
らなんでも人間と同じレベルの会話ができるわけがないではないか。愛を込めて育てた植物の
発育がいいというのは何となくありそうな氣がする。でも、対等に会話するというのはいくら何で
もね・・・。
・・・が、しかし、この本を読んで、別に話をする相手が木そのものである必要はないことに氣
づいた。学校で教育を受けた植物の木に人間と会話する能力を見出す必要はないのだ。知ら
ない世界にせよ、これまで教育を受けた科学の延長線上でいつのまにか判断していない
か・・・。もちろん、それがふつうの思考だが、ゼロベース思考もまた論理思考の重要なひとつ
の方法だということを忘れてはいけない。(・・・と言いながら、類似例を本の中に探そうとしてい
るのは矛盾してるが。)
いずにせよ、ここのところ、ウィークエンドの早朝を、近所の森の池の側で、樹木や鳥や昆虫
たちに囲まれて過ごすことの多い僕にとって感じるところの多い本であった。
人々の多くは、「わたしたちの本質はエネルギーである」ということを知らないでいます。そし
てそのために、「わたしたちは、自分の行動を理解できるようになったときから、自分のエネル
ギーを、自分に起こることを変えるために用いることができるようになる」ということも知りませ
ん。
そのパワーを最高に使うということは、宇宙の生命力と一体になって振動するようになること
です。それができるようになったとき、あなたは常に、エネルギーのもっとパワフルな流れととも
に生きることになります。
ほとんどの人たちは、パワーや答えをかれら自身の外側で見つけだそうとしています。真の
情報は内側にあるというのにです。主な宗教のすべてが、自分との接触を果たすための祈り
や瞑想を一貫して推奨してきたのは、ひとえにそのためです。
人々は一般に、霊的になろうとして外側に目を向ける傾向にあります。かれらは、自分たち
が追い求めている真の喜び、静寂、平穏といったものを、外側で発見すべきものとして思い描
いているのです。
木の精たちは、一般に、木の比較的上のほう、だいたい三分の二ほど上ったあたりにいま
す。わたしたちは木の精たちに、いつでも話しかけることができます。訓練すれば、かれらの声
を聞くこともできるようになります。自然の精たちとの交流を深めれば深めるほど、わたしたち
のエネルギーはきれいになり、自然環境は強さを増します。(!?)
あなたの真のエネルギー源は、あなたの内側にあるエネルギーのパワーです。あなたを、
「ワンネス」として知られている「万物の源」、すなわち「存在するすべてを創造し、癒す宇宙の
愛」と結びつけているのが、そのエネルギーです。
ドロシー・マクレーン
日本教文社
1997年7月15日初版発行
1500円
この本の存在はかなり前から知っていたし、ドロシー・マクレーンが始めたフィンドホーン共同
体の話も聞いたことがある。愛情を込めて育てた植物の成長は素晴らしいというようなレベル
の話で、まぁ、あるかもしれないとは思ったが、ちょっとそういう世界はご遠慮させていただいて
いた。ましてや、天使や植物の精、木の精、風の精の話である。
小学生だった娘が借りた本に、木の精の話があって、ちょっと読み始めたら面白くて、すっか
り感情移入してしまい、ふと氣がついたら、フィクションの世界をさも現実のように感じている自
分に愕然としたものだが、氣をつけなければいけないと思う。ただ、だからと言って、学校で習
った知識や育んできた知性がすべてではなく、特に最近、それらではで計り知れないものの存
在を避けることができなくなってきた感がある。
島田明徳さんの「氣の意味」だったか、大周天気功までを身につけた氏は、自分と自然が一
体になった感じを書かれている。モンロー研究所で体外離脱で大きく広がる宇宙と意識の感覚
を体験し、中国の仙人修行で自分の内なる世界に入った森田健さんは、そのふたつが同一の
ものであるというような記述をされていたと思うし、第一、現実に僕が修行している氣の世界
は、宗主曰く、「天地と一体となることがわが修行の眼目」なのである。
近所の森の池のそばで、毎週末、呼吸法を1〜2時間行い、樹木に包まれながら、天地と一
体となるということはどういうことかと考える。だが、どうしても、心が身体の外の自然を探してし
まう。そうではなく、自分の中で、自然と一体となることが正解みたいだと最近感じている。宗主
の話に、「悟りというのは西方浄土ではなく、南(みな身)にある」というものがあったけれど、そ
の意味がまたわかったような氣がするわけだ。
もっとも、宗主は不思議な世界は完全否定される。死後の世界のことなど、死んでから考え
たって間に合う。今この瞬間を生きよ。それが一期一会だ。心と身体はひとつ、心をふわふわ
と浮遊させているようでは病人だという生き方。確かにその通りだ。
だが、一方で、僕にはその宗主が教える療法で病の人が癒える力を解釈するには、どうして
ももっといろいろな世界を知る必要を感じるのだ。
年初来没頭した芹沢光治良さんが老木と話すこと。これが気のせいではなく、木の精だとし
たら、何となく解釈できるような氣がするのだ。そんなことを思っていると、それまで読んでみよ
うと思わなかったこの本を読みたくなった。
写真集でもある。美しい写真集と、天使からのメッセージは、何だ、僕が指向しているものと
ベクトルが一致しているじゃないか。
「この地上で形を作り出す責任者として、自然界の天使は広汎な知恵を持っています。しかし、
この知恵は知性とは違います。むしろ、原初的な英知とも呼ぶべきもので、全体と完全に調和
している深い知恵そのものなのです。」
思えば、この天使というのは、日本では八百万の神たちだと思うし、
「アメリカ原住民をはじめとして、多くの初期文明においては、人間の心と自然界の間をへだて
ているものはなにもないと考えられていました。人は、魂レベルで、植物や動物の心と一体化
し、話すことができると信じられていました。」
芹沢光治良さんの話を事実だとすれば、そんな世界にごく普通に住んでいるという意識で、生
きていったって、別に支障があるわけでもないと思う。ただ、自然を愛するようになるだけの話
で、それがどうしてマイナスに働くことになるだろうか・・・ま、ちょっと変なヤツと見られる可能性
はあるな。
有田秀穂/高橋玄朴
地湧社
2002年2月28日初版発行
1500円
氣の健康学院を卒業する前に、何らかの実践をして、成果を出して、卒論を書こうと思い、約
一ヵ月半の間、寝る前に、ワンネスリズム体操を行い、呼吸法を行った。その結果、医者泣か
せの身体が、医者要らずになってしまった。つまり、人間ドックなどの検査数値が、要治療、精
密検査、再検査レベルのものが5つ以上は軽くあったものが、一ヶ月半で、すべて標準値に収
まってしまったのである。これは、確かに驚異的な結果であったが、体操や呼吸法と同時に、
摂生もしたからであって、学院の関係者を喜ばせるから、体操や呼吸法のおかげだという言い
方もしてみたが、本心では体操や呼吸法にどれだけの効果があるものか、疑問であった。
この本は、藤平宗主の正しさを証明するような本で、自分が身を持って体験しながら、信じる
ことのできなかった体操や呼吸法の効果を科学的(っぽく)納得させてくれる本である。なん
だ、やっぱり藤平宗主は凄いや・・・と、やれやれ、何度思えば気が済むのやら。
セロトニンは、
・元気を作る
・平常心をもたらす
・痛みや刺激を受け流す
・筋肉を強くして瞬発力を増す
・姿勢筋を刺激する
そして、セロトニン神経を活性化するには、
・丹田呼吸法を行う
・リズム性のある運動を行う
というのである。
丹田呼吸法は、通常の腹式呼吸法とは違い、姿勢を良くして、吐く息を長く、一分間に2回ぐら
い・・・やれやれ、まさに氣の呼吸法である。
そして、リズム性のある運動? まさにワンネスリズム体操ではないか。
まいりました。m(__)m
大徳寺昭輝
春秋社
1999年7月7日初版発行
1600円
芹沢光治良先生の神シリーズに登場する伊藤青年は、大徳寺昭輝さんという名前で、いま
や何冊も本を出し、CDを出し、書画の展覧会を開き、海外でも活動をされている。
先日、書店で「神の微笑」の文庫本を見かけ(別に珍しいことではないのだが)、パラパラめく
るとまた読みたくなって、買って、じっくり読んだ。文庫本は何度も読んだし、その後、古本でハ
ードカバーも手に入れて読んだというのに・・・だ。
・・・で、大徳寺さんには、なぜか、今まで縁がなかったが、ネットでそのお名前を拝見し、森
田健さんも平成8年に訪れている記事をみつけ、アマゾンでこの本を買った。
珍しく時間のできた休日だったので、一気に読んでしまった。
改めて思うに、芹沢光治良先生の神シリーズが、僕にとって、単なる一過性の物語ではなく、
絶対的な神というものを教える書であるのではないか・・・。「神の微笑」は、ひょっとしてこれは
ただの小説かと思ったが、その後、シリーズを読むにつれ、確実に、ひとつの事実であること
に感銘を受け、一気にシリーズを読み終え、「教祖様」を読み、「人間の運命」を読み、ついに
は、沼津の文学館まで足を運んだが。。。今、また、この本を読み、もっと深く、学び、実践する
必要性を感じている。
その教えは(神の教えなのであろうが)、天風先生や、藤平光一先生、葉室頼昭先生などと、
また同じであることも、感慨深いのである。藤平光一先生の「陽氣生万象」という色紙を大切に
しているが、「神の望みは人々の陽気暮らしである」ということも、偶然ではないような氣がして
しまう。
『おやさまは、人々が「陽気暮らし」をすることが、神様の望みだとおっしゃいました。「陽気暮
らし」とは、物欲や快楽におぼれて楽しむということではありません。自然を、生命を素直に
受け取り、自由に生き生きと暮らすということです。自由とは放埓ということではありません。と
らわれのない心、執着しない心ということです。』

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