本の紹介



宇宙とつながる
気功レッスン

メグミ・M・マイルズ
地湧社
2003年5月15日初版発行
1500円

 気功の本は、何冊か読んだが、いかにも中国っぽい。もちろん、眉唾という意味ではなく、ほ
 んとうに僕もそんな体験をしてみたいと何度も思ったものだ。小周天気功は、矢山さんという方
 が開発した小周天バンドというものを頭につければ比較的簡単にできるらしい。ただ、その段
 階で、気功治療なんかをすると病人に気を吸い取られてしまって疲れるらしい。

 その次のステップの大周天気功ができると宇宙の気と交流するから、病人を癒しても疲れな
 いらしい。しかも、島田明徳さんの本などによれば、本当に自分が自然と一体となる感覚を体
 験できるらしい。

 で、いまだに大した努力もしないで気功体験にあこがれているわけだが、この本は、今までと
 はまた違った角度というか、違った人が書いた本。いや、実践し、修行し、体験したことは同じ
 だと思うのだが、いかにも今風の女性の文章で書かれていて、これまでのいかにも中国気
 功!!という本とはちょっと違った雰囲気が出ている。

 こういう本を読んで、また違った角度から気功、氣の世界を感じることができる。・・・で、相変
 わらず、僕は努力しないのだ。でも、今度、外で、気功とか、太極拳をするときに、ちょっとまた
 この本のことを思い出して、木と交流してみようと思う。以下、氣に入った部分。

・・・・・

「 それは、忘れもしないある4月のさわやかな朝、北京のフレンドシップホテルの広々とした敷
 地内でのことです。私は、一本の背の高い木の前に立って、信じられないような驚きとうれしさ
 を全身で感じていました。

  とうとう木との交流に成功した・・・・!

  私の氣が、木の氣に触れ、木と私は言葉に尽くせない不思議な交流をしたのです。」

・・・・・

「 マドローナの木の下で、チャーチンは静かに氣持ちを集中させていった。

  私はいつになく姿勢のよい、チャーチンの座り方の姿勢をさらに正していった。背すじの伸
 ばし具合、あごの引きかげん、頭頂と背骨のつながり、体の左右のバランス、肩の位置、 胸
 郭の開き具合、手の置き方、手の形、視線の定まる場所。・・・全身の角度、つり合いがうまく
 決まって、ちょうどやじろべえがぴたりと止まる、動の中の静止、その一点状態になると、氣が
 集中し、流れやすくなるのだ。」


心を癒し自然に生きる

葉室頼昭
春秋社
2003年5月30日第一刷発行
1500円

 春日大社宮司の葉室頼昭さんは、お医者さんという経歴を持つ変わった神主さんである。し
 かも、ただのお医者さんではない。赤ん坊の唇裂などを手術で治療する形成外科という分野に
 日本で初期の頃に取り組んだブラックジャックのような技術を持つお医者さんである。そして、
 その心は、日本人の心。神道の心なのである。葉室さんは、神道は、宗教ではなく、日本人の
 心なのだとおっしゃる。

 葉室頼昭さんの「神道」シリーズは、春秋社からここ何年か毎年出版されて、書店でも、宗教
 のコーナー以外でも見かけるようになった。かく言う私は、昨年の今頃、最初の本を手にとって
 以来、全部読んだファンで、昨年の夏は、春日大社にまで足を伸ばした。

 天才外科医の神技は、まさに神を敬うところから来る、それもごく自然な感謝の心。この本
 は、初めて、葉室さんの外科医としての経験に焦点をあてた本である。いろいろな治療、手術
 の話がされているが、根底は、日本人の心というものを話されている。

以下、すごいなと思った部分。

・・・・・
「 あるとき一人のお母さんが小学校4,5年生の男の子を連れて来た。見たら、男の子のおで
 こにひどい傷あとが残っている。診察をして、「心配いりません。きれになりますよ」と言いまし
 た。
 それなのに、そのお母さんがその傷をいちいち説明するんですね。・・・(中略)・・・上から下ま
 で全部説明して「これがきれいになりますか」と聞かれるから、今度は「きれいになりません」と
 答えました。
 「いま先生はきれいになると言われたではないですか」と言うのですが、お母さんがそんなに
 子どもの傷に心を集中していたら、絶対にきれいにならない。またお母さんの「念」が、傷を出
 しますよと言いました。・・・(中略)・・・そのお母さんが「今日からいっさい傷のことを言いませ
 ん」と言うので、手術をして、その傷はきれいに治りました。

 それから10日か半月に一回ずつ通院して、一年が経ちました。ところがなんと、前と同じ傷が
 おでこに現れてきたのです。手術する前と全く同じ傷です。へこみから赤みから、まったく同じ
 傷ができていた。こちらが寒気がするほどです。

 やっぱりお母さんは、その傷が忘れられなかったのです。」


わたしの十牛図

三田誠広
佼成出版社
2003年5月30日発行
1700円

 著者の三田誠広は、1977年に「僕って何」で芥川賞を受賞し、以来ずっと、自分とは何かを
 考え続けている(・・・たぶん)。僕も「僕って何」を読んで以来、おかげでずっと、自分の存在意
 義を考えている。ただし、本の内容は忘却した。

 何ヶ月か前に、久々に物理学の知識を身につけようと適当な本を探していたのだけれど、み
 んな難しい。・・・で、三田誠広の「アインシュタインの謎を解く」を見つけて読んだ。文章に特徴
 があんまりなくて、まあ、わかったような、わからなかったような。性懲りもなく、また、今度はこ
 んな分野の本を出したから、また買ってしまった。あいかわらず、やさしいのか、むずかしいの
 か、よくわからない本だ。

 ただまあ、臨済宗の「十牛図」というものについて、以前もどこかで解説を読んだけれど、記
 憶に残っていなかったのに対し、今度は、一人の若者が「僕って何」と思い始め、悟り(=牛)を
 探し始めたんだという解説が、なんだか今の自分に似てるなというところで読み進めていった。
  途中、仏教、お経の話で、仏教の考え方と最新の物理学の考え方の似た部分で何か読者に
 感激を強要するのだが、僕は、もうとっくにそう思っているので、アインシュタインの本とこの本
 の関係も結局僕と同じ興味から出ているのかと思った。十牛図に沿って、仏教とか、化学と
 か、物理の話を解説してくれるから、まあ、勉強にはなる。(とばして読まなかったけど。)

 若者が牛を探して出かけ、牛を見つけ(悟りを開き)、町に帰る(日常生活に戻る)というのも
 おもしろい。仙人生活をしても意味ないのだ。日常の生活であるがままに生きる。(これは、先
 のメグミさんが、木と氣の交流ができたあと、師が普通の生活で気功を見つけよと言ったのと
 似ている。)

 8番目の絵が真っ白というのもおもしろい。無・・・かいな。で、その後が、きれいな景色を楽し
 むだけ。最後の絵は、でっぷり太った布袋さんのような若者の将来の姿が、別の若者に何か
 を話しているところ。・・・なんだ、今のデブの僕かいな。

 どうも、好みじゃない文章だが、知りたいところが同じ人だ。もちろん、三田さんの方が、次元
 が高いのですがね。十牛図の解説から思うに、結局、古来、多くの人が、牛を探してきたわけ
 だ。・・・なんか、無駄だな〜。心は遺伝子で子孫に伝えられないものなのだろうか。


病気を治す意識の処方箋

野島政男
たま出版
2003年6月15日発行
2000円

 「癌が治るはずの本」ということである。4冊目の本でもあるし、以前から鹿児島にすごい先生
 がいらっしゃるということは、どこかで知っていた。でも、正直なところ、「癌が治るはずの本」と
 いう部分が目に入らなければ個人的には買わない系の本である。

 おっしゃっている「病気は自分が作ったのですよ。社会のせいでも、両親のせいでも、学校の
 先生のせいでも、親兄弟のせいでもありません。すべては、あなた方の思いと行動によって作
 られたのですよ。そして、この世の思いと行動と言葉によってだけではないのですよ。」、「みな
 さんは人を憎まないように、人を恨まないように、仕返しをしないようにしてください。自分がや
 ってほしいと思うことを、他人にもやってあげなさい。自分がしてほしくないことは、誰にもしては
 いけません。」、「すべての生命はつながっている。」・・・等々は、これまでも私が感銘を受けて
 きた藤平先生や、葉室先生のおっしゃっていることと同じで、だから病気を治せるんだと、短絡
 的に納得するのだが、野島先生の場合は、それら日本人が古来から子孫に伝えて来た言葉
 の解釈をご自分の研究で、突拍子もない言葉で表現されている。

 曰く、「この世の90%以上の人は、魔界に属している」、「今までのチャクラの説明は全て間
 違っている」、「私の講演を聴くと、魂の次元が上がり、至福感を感じる」、「病気が治るとは反
 陽子がなくなること」、「天照らす光や光子が出ている人には自己治癒力がある」等々。マハト
 マ・ガンジーだけが歴史上唯一十一次元の波動を持っている。ブッダやキリストさえ、そこには
 至っていないと断言される。新興宗教の教祖に至っては、間違いなく堕天使だと断言される。

 文章を読むと、おかしな人、怪しい人だと思う。これまで、たぶん、書店を著書を見つけても
 ページをめくって、買わなかったから、4冊目まで知らなかったのだろう。そしてこの4冊目も「癌
 が治る」という部分がないと買っていなかっただろう。

 事実、野島医院には全国から癌患者、難病患者が押し寄せ、医院に近づくだけで元氣にな
 るという。Webサイトを見ても状況がうかがえる http://nojimaiin.com 。 誰もが最初は、怪
 訝な反応をする。病気は自分が作ったところまではともかく、自分の前世が影響しているとか、
 いろいろな波動の話になるとたぶん「大丈夫かな?この先生・・・」という氣持ちになると思う。そ
 れでも、実際に触られると、病気が良くなり、身体が反応するという。

 僕は、今のところ癌じゃないが、親父が癌で亡くなっている。手術後の強烈な闘病生活をこの
 目で見たし、藁をもすがる氣持ちで、親父の尿を持って、蓮見ワクチンを作ってもらいに行った
 こともある。ほんとにそういう人たちが救えるなら素晴らしいことだと思って、氣の勉強もしてい
 るが、体験したくてこの本を買った。う〜ん、僕は魔界の人間だから難しいかもしれない。

 本には、1時間ほどの講演を録音したCDがついている。CDの方は、まとも(失礼!?)かと思っ
 て聴いたが、本と同じ内容だった。読むよりも聴く方が、不可思議な言葉に対する抵抗力がな
 くなっているのに氣づいた。

 なんともはや不思議な本だが、これで、自分の身体がどう変わるか、実験してみよう。



天風先生座談

宇野千代
二見書房
1970年発行
1600円

中村天風先生に関しては、ご自身のご著書、天風会に関係された方々によるものなど、多数
 出ており、大きな書店には専門コーナーもあるぐらいだから、あえて僕などが感想を書くもので
 もないが、何冊か、関係する本を読んだ中で、この本は、宇野千代さんの力で、実に生々しく
 講演会の様子が伝わってきて、まるで、講演を聴いている氣分になるから不思議だ。

 私が(一方的に)師と仰ぐ藤平光一先生は、天風先生の弟子である。藤平先生の口から直
 接、天風先生について話をうかがう機会が何度かあったが、その雰囲気は、他の天風会の
 方々の著書ではなくて、この宇野千代さんの紹介がピッタリくる。それだけ脚色を付けていない
 のではないかと思う。

 藤平先生は、植芝先生の合氣道を、天風先生の「心が身体を動かす」という言葉で真髄を悟
 られ、今の、形にとらわれてしまった合氣道から離れて、心身統一合氣道を指導されている
 が、一方で、ご自身で氣圧療法というものを習得され、多くの病に苦しむ方々に「氣を出す」こ
 とにより元氣を与えてこられた。

 かく言う私もその氣圧療法を学び、卒業に際して、藤平先生から学んだ「氣」を整理するにあ
 たって、久々にこの本を手にとり、ここに教科書があったと思ったものである。ぜひ、お薦めし
 たい一冊である。

「第一番に病いを気にしないようにすることはよくわかった。たしかにそれに違いないが、しか
 し、身体が悪かった日には、心というものは、いくら強くしようと思っても強くならないんだな。」

「ご参考までに、私がインドで先生に言われたことをお聞かせしましょう。毎日毎日、身体の調
 子が悪いものだから、ついつい、眉に八の字をよせて、笑顔ひとつできなかった私にむかっ
 て、「今日はどうだね、」ときかれる。・・・・」

「この問題と取っ組んで半年かかった。朝、夜明けから日の暮れまで、十八町一里の、三里あ
 る山奥へ行って、滝壺のわきで座禅組みながら、「われ、いずこより来り、いずこに行かんと
 る。何の事情ありて、この現象世界に人間として生れ来しや。」・・・」

「俺はお前に、お前の氣分をきいているんだ。身体のことをきいたことはいっぺんもない。」

・・・

「まァ、とにかくも、もう少し氣持ちの中を鷹揚なものにしなさい。出来るんだから。嘘でもいいか
 ら、好いことは嘘でもいいから、真似しなさい、というんだから出来るだろう。」

・・・

「人間には、辛がったり苦しがったりするほうの自分と、喜びと感謝で生きられるほうの自分と
 があります。心の中の、もう一人の自分を探し出して、たったいまから、どんな人生に生きよう
 とも、矢でも鉄砲でも来い、俺の心は汚されないぞ。俺の心の中は、永久に、喜びと感謝でい
 っぱいなんだ、という氣持ちで生きてゆかれれば、その結果、どうなるか。事実がきっと、あな
 た方に大きな幸福という訪れでもって、お応えすると思います。」


肚・・・人間の重心

K.デュルクハイム
麗澤大学出版会
2003年5月
3200円
 著者は、戦時中の日本で10年過ごしたドイツ人。序文を読んで、すでに圧倒された。これは、
 私が学ぶ氣と同義だ。ドイツから欧州に紹介された日本が、今になって、日本人に紹介されて
 いる。藤平先生の「氣」も、進駐軍の政策等もあって、戦後、ハワイで普及を始められたが、
 今、我々に欠けているものとして学ぶ人が多い。

 この本に紹介されている戦前の日本人の姿から、当時がそれが普通であったことを改めて
 知るとともに、戦後、我々が失ってしまったものに、多くの日本人が、改めて、氣づかなければ
 いけないと痛感する。

 かなり難しい部分も多い。著者は、哲学者とのこと。・・・納得。

 戦後、ドイツで、「身体療法」を提唱して、正しい姿勢を見出すことを説いているとのこと。これ
 も必然の流れか。


「胸を張って、腹をひいて・・・こうした文句が国民一般の指導原則となることとなった国民は、
いま危機の中にあります」と1938年、ある日本人が私に言った。それは、私の日本滞在の最
初ころのことであった。当時、私にはこの言葉の意味が分からなかったが、今日、私は彼が正
しかったことが分かり、その理由が何であるかも知っている。・・・冒頭の文章である。これはず
 ばり、氣の研究会で学んでいること。そして、この意味がわかる日本人が今どれぐらいいる
 か?


「生物としての人間は、自分自身に根ざして生存しているのではない。むしろ、人間が知らなく
ても、また協力しなくても、法則に則って作用する大自然によって養われ、支えられ、秩序づけ
られているのである。そして、非有機的な重心移動によって、もともと身体に備わったものとし
て維持されている生命秩序を証明する中心を、みずから否定するとき、人間は根本的に自分
を支えている生命秩序に対して矛盾を暴露することになる。」・・・臍下の一点である。


「日本人が椅子とかベンチに腰をかけていると、普通、まるで腰掛けを使っておらず、ことさら
に自分ひとりでくつろいでいるように見える。日本人が椅子やソファに腰掛けている様子から
は、その人の「西洋化」の度合いが読み取れる」・・・今は、どうだろう


「大勢の人が集まったパーティで、一人の日本人が、「いいですか、ここに居合わす西洋人は、
もし後ろから押されるとすぐに転ぶ姿勢をしています。日本人の中には、押してもバランスを崩
す人はいないでしょう」と。」・・・今は、どうだろう?


「名人芸というのは、自我によって示されるのではなく、小我が介在しなくたっととき初めて、素
晴らしい成果をもたらす、私たちの中にある超自然の力によってつくり出されるものである。だ
から、人間は、なんらかの分野でこの本質の力を体験し、それに身を委ねることを学んだとき
は、新しい、敬虔な、そして自由な生活感情に支えられた道の入り口に立っているのである。」

「あらゆる自我中心の体験には、この世における人間の地位をどこかで保証し、担ってくれる、
人間の本質から生れてくる力に対する信頼が欠けている」


「肚は、ある「仮面をかぶった人」という外見から、人間を開放する。つまり、世界で果たしてい
るあるいは、果たしたいと思う役割によって生じる、内的には真実でないあらゆる姿勢から人
間を解放する。」


「肚という中心に重心を置くと、人間には自我によって可能となるのとは違った存在の制御を可
能にする力が与えられるということなのである。それは神秘的な支えとなり、秩序を与え、形を
与え、さらに解消し、全体をつくる力である。」


「人間は二重の方法で生きている。彼は自己の歴史的な小さな生にいながら、心の奥底では
歴史を超えた「偉大なる生」に結び付けられているのを感じる。」


最後に再度、デュルクハイムの「肚」について、

「われわれも「肚」という言葉をドイツ語に訳さずに、そのまま使うことにするが、日本人は、こ
の言葉によって「根源的なエネルギーとその統一に心を開き、同時に自己の生活を統制し意
味づけ充実させるときに、それらを示すことができるようにする統合的心身状態に徹しているこ
と」を意味しているのである。「肚」に関する知見は、日本人にのみ妥当するものではなく、人間
一般にあてはまるのである。かかる「肚」の本質と意味を究明することが、本書の目指すところ
である。」


不思議の科学、不思議の科学V

森田 健
同朋舎
1998,2000年発行
1600円

 神秘というより驚愕的な事実が次々に紹介されている。それらが、森田健さんの実体験であ
り、それらに対し、あくまでも科学的にアプローチしている。

 不思議な話は大好きなのだが、斜め読みすると、体外離脱の話とか、心霊手術の話が中心
に見えるせいか、森田独特のちょっとH系な脱線が多いせいか、最初は書店で見かけても購
入する氣にならなかった。(どうも、僕は、あくまでシリアス系を選ぶ傾向があったようだ。)

 ところが、レイキのアチューンメントをしてくれた望月さんからの案内で、森田さんの講演を聴
くことになった。(この手の本はたくさん読むが、講演を聴くことはまずない。)仕事帰りのサラリ
ーマンが詰め掛けた半蔵門の会場で初めて森田さんの話を聴いた。・・・ぶっ飛んだ。まさに、
否定を否定される不思議の連続ではないか。

 それらの内容が、この本である。

 その後、海外出張の折、9.11の直後で、辞退した上司の代わりに向かった成田で、中国に向
かう森田さんを見かけた。元氣いっぱい、好奇心の塊という感じ。そう、森田さんは、自分の好
奇心だけで、これだけのものすごい不思議を次々に紹介している。書店で購入できる不思議
の科学は、Vまでなのだが、その後も、「不思議の友」なる雑誌が無料で送られてくる。そのた
びに、僕はぶっ飛び続けている。

 無料で成り立つということは、一方で、いろいろな関連モノを販売されているわけで、そこは
少々胡散臭く感じるが、それが否定できない不思議そのものであるから、マトモなのだ。危う
い、危うい。(僕は、まだ森田さん系のグッズには手をつけていない。)

 以下に不思議な話を紹介しよう。信じる、信じない、そして、それ以上のものは、本を読んで
判断していただきたい。私にしてみれば、求める「氣」の世界と同じであることを感じている。


体外離脱・・・3巻のこの本を通じて、大きな位置づけ。米国のモンロー研究所で体験できる体
外離脱を森田さんが体験する。それも一度や二度ではなく、一連のコースを体験し、体外離脱
する世界が広がっていく。その体験を通じて、この世とあの世のモデルを明らかにしていく。こ
こでは、体外離脱できるできないということではなく、森田さんが体験し、記録したその世界が、
これまでの不思議を解く可能性を感じるのだ。ここで解かれる世界が、真実につながっている
ような氣がしてならない。


心霊手術・・・フィリピンとかで有名な心霊手術。鶏の血を使ったり、豚の内臓を使ったりのイン
チキが報道されて、ほとんど、世の中の反応は、インチキだろ。。。になっている。・・・が、森田
さんは自ら、心霊手術を受ける。しかも、小型発信機を自作し、それを身体の中に入れてもら
う。あるいは、お尻から発信機を奥深く突っ込んで、レントゲン撮影して確認した後、心霊手術
でそれを取り出してもらい、またレントゲンを撮って確かめる。これを現地で自らやってのける。

発信機はどこにいても、インチキできる範囲なら受信機が電波を捕らえる。森田さんの身体に
入った発信機の電波は?


テレポーテーション・・・中国に出向き、有名な超能力者に実験を求める。密封されたガラス瓶
の中から、玉を瞬間的に取り出す。それだけで驚愕だが、森田さんは、この中に小型の気圧
計を入れる。密封は冷蔵庫で冷やしたビンで行い、あらかじめ、外気より低い気圧。ちょっとで
も、栓をあけると、気圧が外気と同じになる。また、物理的に考えると、玉が外に出ると、その
分、中の気圧は玉の体積に応じて減る。さて、結果は?


蘇生・・・中国にはとんでもない超能力者がいる。4つに切り取った葉っぱが1枚に戻るのだ。な
ぜか、小さくなって。顕微鏡で調べると細胞が小さくなっている。あるいは、もう馬鹿馬鹿しくな
ってしまうが、煮豆から芽が出る。料理されたエビが生き返る。・・・・誰も信じないでしょ?

U巻にその辺の日本での実験を紹介しているみたいだが、その超能力者は、日本に招待さ
れ、みんなの前で、炒ったピーナッツから芽を出させ、しかも、そのピーナッツは植えられて、
立派に子どものピーナッツをつけているという。やれやれ。


以上が、T巻。もっとも印象的なのは、体外離脱で、あるドアに行き着き、そこで問答が始ま
る。「お前は誰だ?」・・・それに対し、「私は森田健」、「私は私」、「私は、・・・・」といういかなる
答えも受け付けてくれない。ドアが開いた答えは?・・・・ほんまかいなと思うけど、まさにそうだ
な〜と思わせる。


で、V巻で確信になる。(これは私個人の話ですが。)V巻が、中国での仙人修行の話。森田
さんは、中国でたまたま出会った導師に導かれ、道教の修行を始める。導師はモンロー研究
所での体外離脱の話を聞いて、もう一次元上に導けるという。・・・天人合一の道教の世界。森
田さんは修行の末、ついに、六次元の世界に行く。そこで見たものは・・・・


藤平先生の氣の修行のひとつに「氣の意志法」がある。自分が倍、倍と大きくなっていくことを
イメージする拡大法、逆に、一点として、二分の一、二分の一と集中していく法。いずれ、それ
らに差がなくなり、ひとつになる。そこでの真理は・・・


実感と異なる不思議の世界、それをあくまでも科学的にアプローチし、過程で考えいくのは、
「私たちはどこから来て、どこへ行くのだろう・・・」不思議な世界でも、現実の泥臭いでも、悩む
ことは同じみたいだが・・・。


何が起きてもおかしくない世の中だが、不思議な現実を受け入れて、おかしいものとおかしくな
いものの違いを考えてみよう。


不思議研究所のホームページ

http://fushigi.accnet.co.jp/menu.asp


身体感覚を取り戻す

斉藤孝
NHKブックス
2000年8月
970円
ずばり、この美しい姿。これですよ!!

・・・という本。「肚」についても紹介されている。最近のTVや、雑誌で、膝を伸ばしてきれいに歩
こうなどという馬鹿な話が紹介されているが、僕は、絶対反対である。自分でも、姿勢に氣をつ
けて7年。最近になって、膝を伸ばしてはいけないことに氣付いた。実践で、示すのみ。

 斉藤先生は、声に出して言う日本語(・・・だったか)とか、中心感覚とか、興味深い本をたくさ
ん出されているが、まさに「肚」と同じ。昔に学ぶべきですよ。皆さん。



日本のこころの教育

境野勝悟
致知出版
2001年7月
1200円

 私立花巻東高校で行われた境野勝悟氏の講演である。

 日本のこころを忘れてしまった教育を受けた今のミドルエイジには、ぜひともお薦めしたいの
が、こういう本や、斉藤孝さんの本、葉室頼昭さんの本、それにドイツ人が書いたである。

 あるキリスト教ミッションスクールの校長である外国人の先生が、卒業式に次のような話をす
る。「私は、最後にさようならという言葉で皆さんにあいさつをしたいが、さようならという意味が
まだわからないので使えない。日本に来て何年にもなるがこれを教えてくれる日本人はいな
い。英語のグッドバイならわかるので、代わりに、グッドバイと言おう。グッドバイのグッドとはゴ
ッドすなわち神という意味。バイはそばにいるということ。だから、グッドバイとは、いつも神様
がそばにいますということ。グッドバイ、そして、シーユーアゲイン。」

 さて、近所で、すれ違った人とあいさつすらしなくなった日本社会だが、たまにハイキングなど
に行くと、「こんにちは」と声を掛け合う習慣が残っている。自然の中ではまだ日本の心が残っ
ているということか。・・・では、「こんにちは」、「さようなら」とはどういう意味?

 日本人とは何?

 答えられない人は読んでください。

 さて、私の勤務する会社は、社内電話の第一声が「こんにちは」だったのが、社内教育を担
当する部署ができて、社員数が増えて、いつのまにか第一声を「お疲れさまです」とするように
なってしまった。疲れてもいない朝から「お疲れ様」とくるのにずいぶん抵抗があったのだが、
ウエの方針には逆らえず、そのままになってしまっていた。

 この本を読んで、やっぱり「こんにちは」に戻すように社長に提言しよう、「さようなら、ごきげ
んよう」も自信を持って言おうという氣分になった。

 子どもたちにあいさつをきちんとしなさいと教えるのと同時に、それがどういう意味があるの
かを理解しておきたい。やたら西欧かぶれして、日本の心を知らないのにも平気になってしま
い、単に、こんにちは、英語でハロー、中国語でニーハオ、インドネシア語で、スラマッパギ(だ
っけ?)、ハワイではアロハ〜なって、外国語にまで心のなさを持ち込んでしまった我々だが、
改めて、日本をよく知り、その上で、グローバルな社会で、地球人となっていきたいものだ。


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